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トップページてくらぼ渡辺千賀のはたらけシリコンバレーラッキーを引き寄せる4つの教訓

渡辺千賀のはたらけシリコンバレーラッキーを引き寄せる4つの教訓

2011.09.29

ガールズロックバンドのメンバー。プログラマ。人生の要になるいろいろなポイントで運を引き寄せる人。そして、そのやってきた運を掴む行動力と、それをきちんと結果に結びつける努力を怠らない人。それが奥山さんだ。

ラッキーその1:友達の誘い

東洋大学の社会学部を卒業後、日本の製薬会社の子会社へ入社。仕事内容はサーチャーだった。年配の男性の多いのんびりした職場で、仕事はそれなりに楽しかったが、数年すると、

「こんなぬるま湯な環境でよいのだろうか?」

と疑問を感じ始める。

20代も半ばを過ぎた頃、友達から

「サンフランシスコにおいでよ」

と誘われる。以前、女性4人のロックバンドでプレーしていた仲間の1人が、サンフランシスコに移り住んでいたのだ。

「サンフランシスコで一緒にまたバンドをやろう」

というアバンギャルドな誘いだった。

「とりあえずアメリカで住めば、英語はペラペラになるんじゃないかな」

と軽い気持ちでその気になった奥山さん。友達から

「学校に通えば学生ビザがでる」

「でも、英語学校だと、卒業した後に就労ビザをもらえないから、カレッジで何か専門性のある勉強をした方がいい」

「コンピュータを勉強すれば、仕事はあるよ」

といった、非常に的を得たアドバイスを受ける。日本の大学での専攻は社会学ではあったが、メディア研究がメインで、中でもインターネットが主要なテーマだったので、もともとインターネットに興味があったこともあり

「だったら、サンフランシスコの近くの大学で、プログラミングを勉強しよう」

と渡米した。2000年のことだ。

「先にきていた子に、就労ビザへの最短距離を教えてもらって助かりました。バンド仲間は4人だったので、全員誘われたんですが、そそのかされてアメリカへ引っ越したのは私だけでした(笑)」

こうして、「サンフランシスコでバンドをしよう!」という誘いに乗ったのが、奥山さんの最初のラッキーだ。

教訓:「誘われたら乗ってみよう」

ラッキーその2ドットコムバブル崩壊後のどん底景気で就職

渡米直前に、バンド仲間が住んでいたシェアハウスに空き部屋が出て、運良くそこへ入居。10人ほどの人たちと同居した。同居人の人種はいろいろ。大家さんも慣れたもので、奥山さんが着くなりマットレスを買いに連れて行ってくれ、すぐに生活は始められた。

バンド仲間の的確なアドバイスにより、日本で働きながら英語の勉強をして、TOEFLのスコアを取得。語学学校に通うことなく、渡米後すぐにコミュニティカレッジに入学。Unixのシステムアドミニストレーターのコースを受講した。カレッジでは、日本人は全部で数十人はいた。奥山さんのように日本で数年働いてから来ている人も多かった。一方で、他の大学へのトランスファー狙いの人も結構いた。
他の大学に比べると、コミュニティカレッジは入学が容易で、コストもそれなりにお手頃だ。(とはいえ、カリフォルニア州の住民に比べると、留学生は相当多額の学費を負担させられはするのだが)。ある程度単位を取った後で、他の大学に編入すれば、コミュニティカレッジで取った単位を移行することができる。
しかし、奥山さんは、とにかくさっさと仕事を探すのが目的だったので、コミュニティカレッジから直接就職を目指した。

ところが、時は折悪しく2001年。運悪くシリコンバレーはドットコムバブルがはじけ、景気はどん底。多くの会社が大量レイオフをしていた時期に、就職活動をすることになってしまった。
しかし、たまたま出かけたパーティーで会った日本人から

「ある小さな日本の会社のシリコンバレー子会社で事務の仕事をしているが、近いうちに日本に帰るので、後がまを捜している」

と教えてもらう。応募してみたところ、すぐさま採用。

「コミュニティカレッジを卒業して10年近くたちましたが、当時の日本人のクラスメートでアメリカに残っている人はいません。なにぶんにも卒業時期が悪かったのが結構こたえてますね・・・。私はラッキーでした。」

教訓:「ネットワーキングは幸運を呼び込む」

「せっかくコンピュータの勉強をしたのになあ」という思いはあったが、世の景気を考えれば、そんな選り好みをしている場合ではない。まずは会社に潜り込むことが先決、と事務の仕事を始めることにした。
紹介してくれた女性からも、

「この会社の事務は、社の電話番みたいなものでわりと時間があるので、やりたいと言えばエンジニアリングの仕事をやらせてもらえるかもよ」

というアドバイスをもらった。そこで、ひと通り事務の仕事を覚えたあと、エンジニアの先輩社員に、

「カレッジではプログラミングの授業も取っていて、じつは自分のやりたいことはエンジニアリングの仕事なんです!」

と売り込みを開始。すると、

「じゃあ、ちょっとやってみる?」

と運良く仕事をもらえた。そして、そのまま、横滑りでプログラマとなった。「わらしべ長者」のようだが、それも、奥山さんが、自分のやりたいことをアピールしたからこそもらえたチャンスではある。

教訓:「自分のやりたいことはきちんとアピールする」

大けがからの復活

ところが、この1年後、デスバレーに友達と観光に行って、大事故を起こしてしまう。
意識不明の重体となった奥山さんはヘリコプターで大病院に運ばれ、しばらくICUに入院する事態になってしまった。日本に住む親には、領事館から連絡が行くほどの大事故だ。
おまけにリハビリを終えて自宅に戻ると、待っていたのは病院からの請求書の山。かかった医療費の請求額は、9万ドルにもなっていた。普通ならこれで日本に帰ってしまってもおかしくない。
しかし、奥山さんは就職が決まった直後にグリーンカードに当選し、取得の手続きを進めており、もう少しで、最後のプロセスの面接を受けられることになっていた。

「せっかくグリーンカードが当たったのに、ここで日本に帰るなんてもったいない!」

と、日本に戻ることは考えず、医療費についても、病院や保険会社に交渉して、なんとか払える金額まで減額してもらう。
そして、グリーンカードを無事取得。晴れて、仕事先に関係なくアメリカに住み続けることができるようになった。

教訓:「少々のことでビビらない&とにかく交渉してみる」

Webサービス開発と新会社設立

その後、就職先の会社は、日本の親会社との関係を解消し独立。ウェブサイトや業務アプリの受託開発などを主にして来た。奥山さんの仕事も、プログラマからプロジェクトマネージャ、さらにはCOOとマネジ.

メントの仕事が主体になっていったが、この4月からは就職先の社長と一緒に、新しい会社を設立し、家族や友達との絆を深めるクローズドなコミュニケーションサービスRusviを作っている。
(奥山さんより、「現在プライベートベータで公開しているので、使ってみたい方はブログやTwitter ( @okuyan ) などへご連絡ください」とのこと。)
スタートアップなので、サービスの企画、機能デザインから実際のコーディングまでなんでもやる。アンドロイドとiPhoneのネイティブアプリの開発にも着手し始めたところだ。勤務先はレッドウッド・シティで、自宅は隣のサンマテオだ。4月に自転車を買って、今は片道30分の自転車通勤の日々だ。
「朝10時半頃会社に行って、なんだかんだで夜11時半くらいまで会社にいることが多いです。かなり勤務時間は長いですが、やはり自社サービス開発は楽しいので、ついつい時を忘れてしまいます。あっという間に夜中、という感じですね。」

もう一度やり直せるなら?

「もう一度人生やり直せるならどうしますか?」

という問いに、奥山さんは

「4大からアメリカの大学に留学しますね。」

と即答。アメリカは学歴社会だから、どうせだったらアメリカの良い大学を出ていた方が良いから、、、と説明が続いたが、「アメリカに住む」という以外の選択肢は全く頭の中にないようだ。それを指摘すると

「言われてみるとそうですね・・・でも、日本から飛行機に乗ってサンフランシスコの空港につくと『帰ってきた』とホッとするんですよ。広々として空気がきれいで、人も東京より少ないですし・・・。もともとロックバンドをやるくらいですから、根がパンクなんです。反骨精神というか。そういう人間にとっては、型にはまらなくても良いシリコンバレーはとっても住みやすい場所なんだと思います。これからもずっとここに住んでいたいです」

と語る奥山さん。

シリコンバレーでやっていける人はどんな人?という質問への答えは、

「文系の人でも、やる気さえあればプログラマ転向は可能です。シリコンバレーに来たい、と思う人だったら、誰でも大丈夫ですよ。」

〜てくらぼ編集部よりお知らせ〜

2007年11月より31回に渡って、"シリコンバレー"を
テーマとしたレポートをお伝えしてきた、
渡辺氏の「渡辺千賀のはたらけシリコンバレー」は
2011年9月29日をもちまして連載終了となりました。

長い間ご愛読いただき、ありがとうございました。

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渡辺千賀プロフィール

渡辺千賀

シリコンバレーのコンサルティング会社、Blueshift Global Partners ( http://www.blueshiftglobal.com/ ) 社長。 技術関連事業での日米企業間アライアンスと、先端技術に関する戦略立案を行う。 商社と戦略コンサルティング会社での経験を生かし、口も足も動くコンサルティングを実践している。 また、シリコンバレーで働く日本人プロフェッショナルをサポートするNPO、Japanese Technology Professionals Associationの共同代表も務める。 東京大学工学部都市工学・学士、スタンフォード大学MBA。 三菱商事、マッキンゼー、ネオテニーを経て現在の会社を起業。

Blog : On Off and Beyond ( http://www.chikawatanabe.com/

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