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渡辺千賀のはたらけシリコンバレー悔いが残らないように楽しく行こう!(1/2)

2010.01.18
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ジャーナリズムからインターネットへ

半谷明(はんがい あきら)さんは神奈川県で育った。高校は地元の公立校である港南台高校に通う。卒業後、一浪が決まった時に、親に

「アメリカの大学に行きたい」

と言ったところ、

「自分で全部調べて、かかるお金もある程度は自分で負担するなら行っても良い」

と許可が出る。ホームステイの生徒を海外から招くようなオープン両親だったのが幸いした。

バイトをしながらアメリカの大学に入る方法を調べ、準備を進め、ウィスコンシン大学に進学することになった。専攻はジャーナリズム。高校時代から日本のマスコミに問題を感じていたからだ。そして1990年に渡米。

そして、半谷さんが大学にいる間にインターネットが台頭し始める。ウィスコンシンは、WWWの先駆けとなったGopherが開発されたミネソタが近かったこともあって、インターネットに強い関心を持つようになった。そして、担当教官に

「ウェブはマスメディア」

と宣言、ジャーナリズム専攻のまま、インターネットのプロジェクトをすることとなる。

プロジェクトでは、学校のカタログや新聞をウェブに載せたりした。このプロジェクトを通じ、まずHTML、そしてUnixを独学で学ぶ。3年生になると、このプロジェクトで給料ももらえるようになった。4年生で卒業するまで、好きなことをしながら、単位も取れてお金ももらえる、という素晴らしい状態になった。

さらに、このプロジェクトでプログラマの友達とも親しくなる。ウィスコンシン大学は全米でも有数のコンピュータサイエンス課程があることで有名だ。そこでプログラミングを学んでいた友達が地元のISPを立ち上げたので、半谷さんもそのISPの仕事を手伝うことに。

社員は10人ほどしかおらず、何でも自分でしなければならない。ここで半谷さんのインターネットの知識もさらに確固たるものになった。

大学を卒業後は、そのISPでフルタイムで働くことになる。

卒業、そしてウィスコンシンでの就職

しかし、2年ほどが過ぎると、ISPの資金不足が深刻になってきた。やっとのことで別の小さなISPに買収されたが、新しい会社のビジネスも鳴かず飛ばず。やがて、給料の小切手を銀行に持って行ってもキャッシュにできない事件が発生。いわゆる「不渡り小切手」だ。

ここで半谷さんはこのISPに見切りを付け、動物病院の管理システムを作っている会社へ転職した。その会社では、動物のカルテの電子化、ウェブ化を推進しようとしていたところだった。半谷さんの豊富なインターネット知識を見込まれての採用だ。

そしてこの頃、大学時代に知り合ったクラスメートの女性と結婚、グリーンカード(永住権)も申請した。

こうして着々と生活の基盤を作り上げていた半谷さんだが、ウィスコンシンという場所は好きになれなかった。

とにかく気候が嫌だ。

夏は湿度が著しく高く蚊が大量発生、とても外にいられない。11月ともなればみっしりと雪が積もり、また外には出られない。野球場が作れるくらい広大な庭の家に住めるが、庭を楽しく利用できるのは年のうち2週間くらいしかない。

より良い気候を求めてウィスコンシンの外での機会を探し始めた半谷さんだが、ラスベガスの会社からオファーをもらったものの、諸事情により引っ越しは実現せず。

シリコンバレーへの道

しかし、世の中ではインターネット関係の会社が続々と登場している。CiscoやSun、Netscapeといった技術の中核的存在、かつ気候のよいシリコンバレーにある会社で働きたい、と、応募してみたところ、Netscapeから面接の声がかかった。

Netscapeがある西海岸ではポロシャツにカーキはかなりかしこまったビジネスウェア 面接に行くにあたっては、片道4時間かかる飛行機代は全額会社負担、サンフランシスコの空港につくとレンタカーも用意されていて、その優遇ぶりに驚く。

ウィスコンシンでは、仕事の服装はそれなりにフォーマルだ。エンジニアでもポロシャツにカーキパンツ、というのが普通。一方、Netscapeがある西海岸では、ポロシャツにカーキ、はかなりかしこまったビジネスウェアだ。ウィスコンシンの調子で面接にスーツを着ていったら、

「ここで働き始めたらそんな格好できないよ」

といわれて、ますますシリコンバレーで働きたい、という思いを強くする。面接では、最初の4人はいろいろと厳しい質問をしてきたが、最後の一人はむしろ半谷さんに会社を売り込もうと、いろいろな部署を見せてくれたりするのには驚かされた。

そして、するするとNetscape からオファーをもらう。

98年半ば、と、インターネットバブルが始まりかけた上り調子の頃ということもあり、ウィスコンシンからの引っ越し費用に加え、サインアップボーナス、住居賃貸開始補助など、豊富なキャッシュがオファーされ、さらに驚く。

晴れてシリコンバレーに引っ越し、NetscapeでNetcenter Portalチームに所属することとなった。

Netscapeの変遷

2年目には第一子が誕生。シリコンバレーで腰を据えて働けることになった。

家庭が落ち着いていったものの、仕事場はだんだんと暗雲に包まれていく。

半谷さんの転職の翌年、NetscapeがAOLに買収されたのだ。

買収は、最初はグッドニュースだった。Microsoftとの戦いに苦戦し低迷していた株価は、買収発表で一気に2倍になり、その後もさらに躍進し、買収前は7〜8ドルまで落ち込んでいた株価が一時は40〜60ドルくらいにまでなった。当時のCEOだったJim Barksdaleが、AOLのNetscape買収が承認された直後の全社ミーティングで

「everybody made money today!」

と宣言したりもした。IPO前からいた半谷さんの同僚は、ジャガーのオープンカーをキャッシュで購入。

しかし、AOLの本社は東海岸のワシントンDCの近郊だ。西海岸のNetscapeとは全くカルチャーが異なる。当初の興奮が過ぎると、全く異なる文化の親会社のもとでどうやってNetscapeのそれまでのシリコンバレー的気質を保つか、という問題が大きな影を落とし始めた。

そして、東海岸から送り込まれたスーツを着ている人が増えるにつれ、Netscapeのモラルは下がっていく。

やがて、Jim Barksdaleは去り、Marc Andreessenも辞めてしまった。

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渡辺千賀プロフィール

渡辺千賀

シリコンバレーのコンサルティング会社、Blueshift Global Partners ( http://www.blueshiftglobal.com/ ) 社長。 技術関連事業での日米企業間アライアンスと、先端技術に関する戦略立案を行う。 商社と戦略コンサルティング会社での経験を生かし、口も足も動くコンサルティングを実践している。 また、シリコンバレーで働く日本人プロフェッショナルをサポートするNPO、Japanese Technology Professionals Associationの共同代表も務める。 東京大学工学部都市工学・学士、スタンフォード大学MBA。 三菱商事、マッキンゼー、ネオテニーを経て現在の会社を起業。

Blog : On Off and Beyond ( http://www.chikawatanabe.com/

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