|
ITエンジニア・Webクリエイターの仕事情報ならパソナテック
次々と転職Marc Andreessenはその後Loudcloudを起業する。 半谷さんも、2000年にLoudcloudに転職。できて1年ほどではあったが、すでに数百人がいた。とはいえ、「倉庫を改造したオフィスにエンジニアが大量にいる」というスタートアップらしい環境ではあった。 その頃、ドットコムバブルがついに崩壊するが、LoudcloudはIPOを実行する。2001年初めのことだ。厳しいIPOとなった。IPO価格を設定するも買い手がつかない。買い手がつくようにトータルの企業価値を下げつつ見た目上は株価をキープするために、株式統合を2度もしてIPOを強行するが、IPO後に株価は下落。この顛末を目の当たりにした職場の雰囲気は目に見えて悪くなった。 そんな中、半谷家では第二子が誕生するが、その2ヵ月後に一家の主はレイオフで職を失う。 とはいえ、 「退職手当でしばらくは生活には困らないし、数ヶ月のんびりしてから職探しをしよう、と暢気に構えてました」 と語る半谷さんだが、レイオフから数日後、陽気に飲み明かし、午後になってから起きてみると、9.11が起こっていた。 「さすがにこれはまずい、と転職活動を予定より早く開始することにしました。」 当時、シリコンバレーの景気はこれ以上悪くなれないくらい最悪だったが、2ヵ月後にはP2PファイルシェアリングのNapsterからオファーが出る。 Napsterには Netscape時代の上司が働いていた。その上司から電話がかかってきて 「サーバのオペレーション環境からソフトまで、全部やり直すのを一緒にやらないか」 と誘われたのが転職のきっかけだ。Napsterは、当時ありとあらゆるレコードレーベルから訴えられていて、それまでの無料モデルから有料モデルに切り替えることで合法的ビジネスにしよう、としていた時だった。料金を取るからにはちゃんとしたサーバの構築が必要だったのだ。2001年の11月のことだ。当時のNapsterには、社員が100人ほどいた。 中々魅力的な仕事だと思って入社したNapsterだが、半谷さんが所属するチームのモラルは最悪だった。 仕事の方は着々と進み、サーバの構築も全てできたが、悪評高いNapsterと契約するメジャーレーベルは全く出てこない。なんとか契約にこぎ着けたのは本当にひどいレベルのアーティストばかり。「ゲップの音だけの曲」など、聞くに堪えないものばかりだった。ファウンダーのShawn Fanningもやる気がなくて、週に1回くらいしか会社に来ない。 加えて、半谷さんは「厳しい通勤環境」という問題も抱えていた。第ニ子誕生を機に、サンノゼの南に50キロほどのところにあるギルロイという町の家に引っ越していたためだ。レッドウッドシティーにあるNapsterまでの通勤は片道100キロ。しかも道路は毎日ひどく渋滞する。それを避けるため、 夜中まで働いて朝は10時過ぎに家を出る生活となった。それでも片道1時間半かかる。 そして、Napsterはドイツをベースにする国際メディア企業のBertelsmannに買収されたが、ビジネスの雲行きはさらに怪しくなっていった。Napsterに移ってから1年も経たないうちに転職を決意。 次の会社はEMCだった。Loudcloud時代の同僚がEMCにいたので、そのつてでの転職だった。2002年のことだ。 東海岸の大企業で技術営業EMCは、東海岸のストーレッジの会社だが、当時Symmetrixというラックマウントシステムが絶好調だった。 職場はNapsterと同じレッドウッドシティーだったが、3ヵ月に一回はボストンの本社に2週間出張。加えて、営業で1泊の出張にあちこち飛び回った。Oracle Worldなど、いくつかの展示会にも必ず顔を出した。日本にも数回出張、日本のエンジニアチームにレクチャーしたり、セミナーのスピーカーをしたりと、EMCに在籍している4年間の間で6回ほど日本へ。 EMCは、それまで働いたシリコンバレーの会社とは全く違っていて、何もかも新鮮だった。大企業なので、健康保険など福利厚生が非常に良い。さらに、R&Dから営業になったわけだが、営業の出張ではふんだんに経費が使える。飛行機はビジネスクラス。出張中は食べ放題、飲み放題。一人でも、必ず町で一番高いレストランに行って、ワインを一本とった。日本に 出張すると、東京から横浜の実家へタクシーで帰った。 「今考えると恥ずかしいですが、最初は楽しかったですね。」 しかし、数年が過ぎると、東海岸の会社らしいフォーマルさがだんだんと堅苦しくなっていった。ソフトではなくハードの会社ということで、製造の効率を上げるためのシックスシグマの概念が浸透。なにごともプロセスがしっかりあり、全て何かやる前に許可を得る必要がある。社長はいつもスーツにタイで、気軽に挨拶などできない怖いマフィアのようだ。 そうこうするうちに、社内の配置換えで、半谷さんはCTO直属となったが、それまでの上司が、VP(副社長)からSVP (上級副社長)になろうと、いろいろと社内政治を画策しはじめ、それに半谷さんも巻き込まれる。半谷さん自身、部下を持たないエンジニアとしては一番上になるPrincipalまでは行けるだろう、と思ったが、その先VPになっていく、という出世パスには関心が持てず、社内政治は憂鬱なだけだ。 そんなこんなで、 「ウェブ系の会社でもう一度コードを書こう」 と思った半谷さんは、再度転職活動を開始する。 ふたたびシリコンバレー企業のエンジニアにそして、Netscape時代の同僚のつてで、シリコンバレーでも有数の著名企業である今の勤め先にアプライ、幾多の面接を経てオファーを受け、2006年にエンジニアとして入社した。 現在はウェブ上で提供するアプリケーションの管理ツールなどを書いている。所属先の会社にとっては、キープしなければならない既存ビジネスではなく、これから足を踏み入れる領域のビジネスだ。そうした先駆的な仕事をするのは楽しい。 現在の会社で感心するのは、経営陣が優秀なこと。CEOはどんな話をする時も、温厚そうでありながら頭の切れが感じられる。技術もよくわかっているし、将来 へのビジョンもある。社員のモラルをキープしてるのもすごい。毎週金曜の夕方は「TGIF(Thank God It's Friday)」と呼ばれるカジュアルな社内の全体会議があるが、ファウンダーかCEO の誰かが必ず参加してホスト・司会をする。起業して10年以上経つ会社で、ここまでトップが社員との関係作りにコミットしている会社は中々ない。 過去1〜2年は不景気によるレイオフも行われたが、エンジニアは一人も切らなかった。結果、エンジニアのモラルは全く下がっていない。技術開発が会社の核であり、最も大事にされていることを実感する。 日常生活とこれから仕事の時間はまちまちだ。製品のリリース前などは忙しくて徹夜することもあるが、普段の労働時間は1日8時間くらい。コアタイムは特にないので、自分の好きな時間に働ける。四半期ベースでゴールを決めて、それを達成すればよい、という感じだ。 プライベートでの趣味の一つが料理。子供の頃母親を手伝って基礎は押さえた。さらに、学生時代の一人暮らしでより強化。得意料理は、おでん風の煮込み料理や、スープの入らない本場中国風の担々麺など。和食が得意でサンマも焼く。週に一回は料理をしている。 住む場所はこれからもずっとシリコンバレーのあるベイエリアにいたいと思っている。何が素晴らしいといって、蚊がいないこと。蚊に刺されやすい体質なので、とにかく一生蚊がいないところにしか住みたくない。ウィスコンシンやミネソタだと1千万円もあればお城ような家に住めるのに、ベイエリアではその10倍出してもこじんまりした家しか買えない。しかしウィスコンシン、ミネソタの夏は蚊がうようよいる。 それから、最近趣味でセーリングを始めたので、海が近いというのもベイエリアの気に入っているところだ。 日本の読者の皆さんへのメッセージ「転職しましょう。常に楽しいことをするためには転職しかない。起きてる時間の半分以上は仕事なので、楽しくてなんぼです。つまらない仕事、辛い仕事は、さっさと次の仕事に移るに限ります。」 いつ死んでも悔いが残らないよう楽しく行こう、というのが半谷さんからの言葉だ。 このレポートに関するご意見・ご感想は下記までお願いします。
最新のITエンジニアお仕事情報
|