高橋恵理さんは、日本のマッキンゼーで5年働いた後、UCバークレーに留学、応用物理分野で2008年の12月に博士号を取った。今は、在学中に知り合って結婚したダンナさんと子育てしながら起業中だ。・・・・という経歴だけ聞くとちょっと恐れ多いようだが、 「お金よりキャリアより、家族で過ごす時間が大事」 と言う高橋さんのこれまでを語ってもらった。 理系からコンサルタントへの道中学・高校はフェリスで6年間女子校生活をしたのち、早稲田の理工学部物理学科へ。中学高校では、物理が一番好きだったので選んだ進学先だ。 「女子校から男子校に行った感じでした。」 しかし、大学に入ってすぐ 「こういうのはあまり好きじゃない」 とがっかりする。授業では、教授が黒板に関数を書きまくり、それをガリガリと展開していくばかり。それに萎えてしまった。もともと、物理が好きだったのは、物体の動きがエレガントに説明でき、しかもそれを数式というロジックでサポートできたことで、なんだか力技の授業は好きになれなかった。 というわけで、学業はそこそこに、適当に遊んで日々楽しく過ごすことに。アメリカのカリフォルニア州立大学に大学の制度を使って交換留学してみたりもした。 とはいえ、学部が終わると大学院に進学した。特に深い理由はなく、周囲の誰もが「将来はメーカーの研究職」という感じだったので、自分もそうなるのだろう、となんとなく思ったからだ。いちおう、「黒板にガリガリ」の理論系ではなく、手を動かす実験系の研究室を選んではみた。 しかし、実験は、やっている間は楽しいけれど、イマイチ一生の仕事にする気になれない。 もともと、子供の頃から、偉人の伝記で「かっこいい」と思ったのはエジソンやキュリー夫人、ノーベル。ナイチンゲールなどの「女子キャラ」はピンと来ない。「最新技術を開発する人」に憧れていた。 しかし、長いことの憧れではあったが、理論も実験もやってみて 「やはり自分には基礎研究的な物理は向いていない」 と感じる。 それでも、あまり深く進路のことは考えずにいたのだが、たまたま院の1年目に学校を歩いていたら 「1週間12万円」 という高額アルバイトのビラがはって 「おお、これはいい儲け!」 と思って応募してみたら、それがマッキンゼーのサマーインターンだった。当時マッキンゼーは理系の大学院生にターゲットを絞ってリクルーティング活動をしており、その一環として「割のいいサマーインターン」を募集していたのだ。 そして、その罠にまんまとひっかかって応募した高橋さんはするすると合格し、1週間ほど仕事をすることに。会社もリクルーティング目的なので、あれこれ社内の楽しい人たちに会わせてくれる。コンサルティングの仕事も面白そうだ。このとき初めて、 「私にも、メーカー就職以外のパスがあるんだ」 と気づいた。 とはいうものの、就職する際には、メーカーにしようかマッキンゼーにしようか最後の最後まで迷った。 メーカーでは、電機系の会社の中央研究所でレーザーの研究をする仕事の話があった。なかなか面白そうな研究ではあったが、 「マッキンゼーの方が世の中に対するインパクトがダイレクトにありそうだ」 と感じた。それに、なんとなくマッキンゼーのほうがワクワクする感じがした。この「ワクワク感」に従いマッキンゼーへ。 仕事漬けのマッキンゼーでの5年とはいうものの、コンサルタントとしての最初の1年は 「いつやめようか」 と思う毎日だった。それまで大学で学んできたのとは全く違う仕事な上に、短期間で成長することを求められる。自分はついて行けていない、と感じた。 だが、あまりに何も達成できずに辞めるのも嫌なので頑張ってみることに。 元々技術系ということもあり、ITや半導体系の企業をクライアントとする仕事が多かったが、この領域はコンサルティングをするのが大変だ。製薬のような業界の動きがゆっくりして枠組みが明快な規制産業と違い、業界勢力図や技術内容がどんどん変わるし、世界が相手で競合も激しい。激しいコスト削減努力を続けている業界なので、高額のフィーで雇っているコンサルタントへの目も厳しい。 その目まぐるしくシビアな業界のプロジェクトをこなして2〜3年もすると、だんだん仕事もできるようになって面白くなってきた。自分が成長してるのも実感できた。 仕事に慣れて来ると、次は 「これまでやったことがないことをしてみよう」 と地方や海外のプロジェクトに入ってみることにした。 (マッキンゼーでは、2〜6ヵ月で1プロジェクトになっており、新しいプロジェクトの内容や場所などは本人の希望をそれなりに聞き入れてくれる仕組みになっている。) 海外では、アメリカ、韓国、イギリスへ。 「レストランでも、食べたことないものがメニューにあると必ずそれをオーダーしちゃうんですよね」 という高橋さんには、次々に違う土地で違う会社を相手にする仕事は中々楽しかった。飛行機はビジネスクラス、出張で泊まるのはどこも高級ホテル。毎日ルームサービスで食事し、週末は街に出てブランド品のショッピング。 しかし、家に帰れるのは年のうち半分以下で、それ以外はホテル住まい。どこに行くかも突然決まり、 「来週から3ヵ月アメリカに行って」 と突然言われて荷物を詰めて出かける、という生活。ごく直近の予定も立てられないから友達と会うのもままならない。 ボストンではフォーシーズンズ・ホテルで1ヵ月過ごしたりもしたが、友達も家族もいない。同僚は忙しすぎて誰も遊んでくれない。高級な部屋もブランド物も、うれしいのは最初だけ。どこにいても孤独で、精神的な疲労がたまった。 「この頃の生活のお陰で、贅沢な暮らしに対する憧れが無くなりました」 と言う。 「豪華なホテルもビジネスクラスも、そんなものはなにもいらないから家族とゆったり楽しく生きたい、としみじみ思いました。キャリアのために、あちこち孤独に飛び回る忙しい暮らしを我慢するなんて自分には耐えられない、ということがよくわかりました。」 シリコンバレーへのステップとしての博士課程留学それと同時に、「マッキンゼーの次」を考えるようにもなった。コンサルタントとしての多様な経験は自分を成長させてくれたが、そろそろ"自分がオーナーシップをもてること"に腰をすえて取り組みたくなった。就職して4年目の終わりくらいから次の進路を真剣に考え出した。 そのとき、まず思ったのが 「シリコンバレーに行きたい」 ということ。 マッキンゼーで見た業界の中では、ハイテク業界が一番ワクワクした。そして、ハイテク業界で仕事をするなら、一番ワクワクする場所がシリコンバレーだった。20年後、30年後の自分がハッピーでいられる場所はどこだろう、と考えて、シリコンバレーの技術ベンチャーで働く、というのが一番楽しそうだ。 コンサルティングプロジェクトを通じて、シリコンバレーがどんな風に動いて、どんな人がいるかを知り、憧れも持っていた。アメリカ人だろうが海外から来た人だろうが、理系の人たちが自分の技術を元に会社をどんどん興している。そしてその人たちには悲壮感はなく、誰もが楽しそうに働いている。 一方で、留学時代、ごく普通だと思っていたクラスメートたちが、アメリカでもトップを争う理系大学のCaltech(カリフォルニア工科大学)の大学院に進学したりしていて、それほど雲の上の存在でもなさそうだ。 「私も、アメリカに生まれて理系の大学に行ったら、もっとハッピーに理系の道を邁進してベンチャーを興したりできたのかも」 とうらやましく思っていた。 とはいえ、突然ビザもなくシリコンバレーに行っても何もできそうにない。どうしたものか、と思っていたが、ある人に、 「今からでもPhD(博士号)が取れるよ」 と言われた。当時もう29歳だったし、大学を出てから理系のことを全くしていなかったのでPhDなど考えてもいなかったが、冷静に考えてみたら悪くない。PhDを取れば、その後シリコンバレーで働くことも簡単になる。そこで、 「シリコンバレーに近い大学でPhDを取ろう」 と決める。PhD後に学究の道に進む気はないので、基礎研究ではなく商用化が近い応用分野を狙うことにした。 ワラシベ長者型合格への道学会誌などをあれこれ読み、商用化に近い分野としてMEMS(微小な電気機械システムに関する技術)を選んでみた。大学は、シリコンバレーのUCバークレー、スタンフォード、それにちょっと距離はあるが同じ州のカリフォルニア工科大学のどれか、と考え、それぞれの大学でMEMS関連の研究をやるのに適した学科をいくつかをリストアップした。 しかし、合格までの道のりは長い。アメリカの一流大学の大学院は、世界中に「なんとしてでも行こう」と思っている人たちがたくさんいる激戦区でもある。 高橋さんは大学で勉強していた頃からは長いブランクがある。就職してから少しでも数式に関係あることをしたのはエクセルの四則計算くらい。一方、アメリカの理系大学院のほとんどでは、GREという共通テストが受験に必須だが、GREのひとつにサブジェクトテストというのがある。これは物理、電機など、分野ごとの専門についてのテストで、インドや中国、韓国といったさまざまな国の大学生は、このサブジェクトテストでいい点を取るために4年間勉強しているようなもの。大学院を出てからギャップのある高橋さんはかなり苦戦した。 しかも、それまで関連分野の研究をしたわけでもない高橋さんが、アメリカのメジャーなアメリカの大学の博士課程に入るには、かなり自分を売り込む必要がある。GREの準備や応募用エッセー書きといった「標準受験準備」のほかに、「工作活動」も行うことにした。 大学の先生に直接自分を売り込むのだ。いろいろコネを辿ったり、教授に直接メールを出したりしてアポを取り付けた。 忙しい教授はなかなかメールに返事もくれないこともあるが、出張でたまたま横に座った日本の大学教授が、UCバークレーの興味のあった学科のアドミッション(どの生徒を合格させるかを決める部門)のトップの知り合いで、その人に紹介してもらったり、という幸運もあった。 そうやって、数人の教授とのアポを確保しキャンパスを訪問。そうして見て回った中で、一番研究活動がしやすそうなのがUCバークレーのBSAC(MEMSの研究センター)だった。是非BSACに行きたい、と思った。 そんな中でラッキーなことが起こる。 MEMS関連の領域をもっと知ろうと、日本での学会に仕事を休んで自費で参加してみたときのことだ。会場で、一度会ったことのある教授と偶然すれ違った。その教授と立ち話していると、 「このあとディナーがあるけど来る?」 と誘ってくれたので行ってみたら、偶然UCバークレーのお目当ての教授も来ていたのだ。もちろん、果敢に話しかけ、いろいろと会話するうちに気に入ってもらえたらしく、 「君が入学したら自分の研究室でグラント(奨学金)をあげる、とアドミッションの人に言ってあげるよ」 といってもらえた。さらには、このUCバークレーの学科ではGREのサブジェクトテストが必要ない、というラッキーも重なった。 最終的には、ふたを開けてみると結局この第一希望しか受からなかった。 「たまたま飛行機で隣に座った人、とか偶然会った人、とか、そういう縁が重なって、ワラシベ長者みたいな感じでした」 と高橋さんは言う。 ただ、それは全て単なる偶然、というわけでもない。 「大学に行って教授に会ったからといってどうなるかわからないし、学会だって、ただの無駄足かもしれません。でも、敢えていろいろやってみたことで、運が回ってきた、という感じです」 と語る。 とはいえ、世界中から必死にまっとうな方法で受験しようとしている人より、偶然会って話した受験生を重く見るなんて、まじめに受験している他の生徒にアンフェアじゃないのか、と思う人もいるかもしれない。 退職を告げると、周りには「いまさら理系の大学院?」と驚かれたが、迷いはなかった。 このレポートに関するご意見・ご感想は下記までお願いします。
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