アメリカの生活開始堀本さんは2005年の7月いっぱいで会社を辞め、8月1日に渡米。8月15日から学校が始まった。来て見ると、駐在時に住んでいたキャンベルからほんの80キロほど北上しただけなのに、サンフランシスコの夏は陰鬱とした霧に包まれ、10度台に気温が下がる夜も多い寒い寒い夏だった。「毎日晴天、からっとした夏」を夢見てきた堀本さんは 「何か違う…」 とがっかりしてしまった。 また、アメリカでの生活もいろいろ大変なことがあった。 堀本さんが渡米した前年の2004年に移民法が改正され、学生ビザで入国した人はソーシャルセキュリティ番号が取れないことになった。ソーシャルセキュリティ番号はアメリカの「総背番号」で、これがないと日常生活のセットアップの全てに支障をきたす。 まず電話が引けない。 本当は引けるのだが、申し込みの電話をかけた相手の担当者が「ソーシャルセキュリティ番号がなくても電話が引ける」ということを知らないのだ。 議論しても仕方ないので、断られるたびに電話をいったん切ってかけなおし、「ソーシャルセキュリティ番号がなくてもOK」と言ってくれる人が出るまで8回かけなおした。 さらに、夏休みが来てアメリカでインターンとして働くことになったときも、ソーシャルセキュリティ番号で泣かされる。働くにはソーシャルセキュリティ番号が必須だ。インターンで働くためのビザもあり、会社からのオファーもあるので堂々と申請できるはずなのだが、役所の窓口の担当者が、「前もって番号が出せる」ということを知らない。 「6月10日に仕事を始めるんだったら、6月10日以降にしか番号は出せない」 と一点張り。しかし、ソーシャルセキュリティ番号がないと仕事が始められないので堂々巡りだ。 今回は前回と違って、電話ではなく、実際にソーシャルセキュリティ管理をしている窓口にいかなければならない。とはいっても、事情が理解できない担当者とやりあっても仕方ないので、「わかっている人」にめぐり合えるまで、車で次々と窓口のある事務所を行脚した。それぞれの事務所で1〜2時間待たされては話をして断られる、というのを繰り返し、ついにOKしてくれる人に出会えたのは4〜5ヵ所目の事務所だった。 暗黒期のロースクール1年生ロースクールは、アメリカ人にとっても最初の1年はとても苦しい。これを乗り越えると、コツが掴めるのだが、最初の一年は、誰もが「自分は優秀」だ、ということを証明しようと必死で、とげとげした雰囲気が漂う。 勉強量も多い。 授業で使う時間1時間に対して、3時間予習するくらいの割合だ。ひとつの授業で一回大体80ページ読まないといけない。一日に1時間半の授業が2コマ、計3時間あったので、その3倍の9時間は毎日最低でも予習する必要がある。中にはもっと量の多い課題を出す教授もいて、一回の授業の課題が200ページ、なんてこともあった。本当は全部読まなくても乗り切れるのだが、最初はコツがわからず、全て丁寧に読んでいたので本当に大変だった。 一方、クラスメートはみなそれぞれに成功経験を持ち、自信に満ちあふれているように見える。 「わかってないのは自分だけでは」 という焦燥感を感じた。実際は、周りも多くの人たちが同じ焦りを感じていたことが、2年目、3年目と進むうちにわかってくるのだが。 さらに、渡米して半年後、年末頃には翌夏のインターンの就職活動が始まる。しかし、堀本さんは、インターン先が初夏の頃まで決まらなかった。この頃は本当に暗黒期だった。 「もう、彼の献身的な愛だけで乗り切りました」 と笑う堀本さん。同じくロースクールを出ていた彼はいろいろと具体的なアドバイスをしてくれ、落ち込んだ堀本さんを励ましてくれた。 「日本で働いていれば英語が出来る人なのに、アメリカに来たらただの言葉の不自由な人でしかない!」 と彼にやつあたりしたりしたが、それもちゃんと受け止めてくれた。 そうこうするうちに、シリコンバレーにあるソニーの支社でのインターンがめでたく決まった。サンフランシスコのAsian American Bar Association(アジア系アメリカ人弁護士会)で現職の弁護士が学生のメンターになってくれるプログラムがあり、そのメンターの人の紹介だった。 無事にJ.D.取得へインターンを始めて、土日が休みなことに呆然とした。それまで学校で週末も朝から晩まで勉強していたので、 「二日間も丸々休んで、いったい何をしたらいいのか、と思いました」 釣りとゴルフを始めてみたりして夏が過ぎる。 そして無事インターンも終わり2年目に入ると、学校生活はずいぶん楽になった。2年目のインターンはアップル本社へ。ソニーとアップルでのインターン経験を経て 「これならアメリカでもやっていける」 という自信もついた。 とはいうものの、学校では、成績が足りずに退学・留年になるクラスメートも登場、 「それを横目で見つつ、びびりながら一生懸命勉強しました」 という。そうして3年でJ.D.の資格を取った。 なお、アメリカの弁護士への道を説明すると、原則としてJ.D.という3年間のプログラムを修了する必要がある。J.D.とはJuris Doctorというラテン語の略だが、学位自体は修士に相当するもの。入学には4大卒の資格が必要だ。アメリカには日本の法学部にあたる学部はないので、 さまざまな学部の出身者がJ.D.には集まる。J.D.を卒業すると、いろいろな州での司法試験を受けることができるようになる。 (一方、アメリカの法律関係だと、もうひとつLL.M.というプログラムもある。これは、外国で既に法律関係の仕事をしている人のための1年のプログラム。ただし、日本の弁護士資格を持たない場合、LL.M.を卒業しても司法試験が受験できるのはニューヨーク州だけ。) 就職、そして結婚就職では、求人サイトのmoster.comにレジュメを載せておいたら、シカゴの特許調査会社から電話がかかってきて無事採用に。「在宅で働いて欲しい」と言われ、同僚と一度も会わずに仕事がスタートした。 そして、付き合っていた彼とも結婚した。彼は、影に日向にいろいろとサポートしてきてくれていたが、さらに、 「いつも二人単位で物事を考えてくれるのがうれしかった」 という堀本さん。たとえば、堀本さんがサンフランシスコでのロースクールを始めるタイミングで、彼にワシントンDCへの転職の誘いがあったのだが、 「そうしたら近くにいられなくなるから」 と、断ってくれた。 また、堀本さんは、お姉さんがロンドン、弟が日本に住んでおり、一人暮らしの母親がいる。「将来はイギリスとアメリカと日本で、3ヶ月ずつお母さんと同居したりして」と冗談で言っていたら、それを真に受けた彼は、まだ結婚前だったにも関わらず、 「僕のうちに君のお母さんの部屋を作って、その部屋はお母さんが好きなインテリアにしよう。この辺だったら3ヶ月住むならこの季節がいいんじゃないかな」 と、堀本さんが元の冗談を忘れた頃にまじめに言ってくれたこともあり感動した。 そんな優しい家族もでき、在宅勤務を開始。 とはいうものの、在宅は結構微妙な仕事の仕方だ。本当に誰にも会わずに黙々と調査してレポートを書く毎日はちょっと滅入るものがあった。そんな堀本さんの様子を察して、彼は外に連れ出してくれるようになった。元々出歩くのが好きな人ではないのに、カフェや映画に仕事の後に行くようになり、ずいぶん気持ちが晴れた。 転職仕事は「特許庁からの委託で特許調査をする」というものだったのだが、2009年の3月に、税収減で特許庁のバジェットが減り、堀本さんの仕事量も突然半分になった。当然給料も半分に。この仕事では、本来民間では知り得ない他人の特許情報にアクセスできてしまうため、それを悪用しないようにと副業禁止規定があった。だから、他の仕事を取ることもできない。なので、転職することに。 そして次の仕事はすぐに見つかる。法務関連の人材派遣会社に複数登録したら話がきた。 決まった転職先は、サンフランシスコにある法律事務所だ。5月から働き始めた。当面はここで派遣弁護士として働くことになる。今度は通勤もしなければならないし、仕事量も格段に多いが、しばらくはここで力をつけるつもりだ。 一方で、近い将来、弁護士事務所ではなく、技術系企業の法務部での仕事がしたいと思っているので、どこかでチャンスを見てそういう仕事を見つけたいとも思っている。 アメリカで弁護士になるということアメリカのロースクールで得られるのは、「弁護士のように考える」思考方法だ。日本では 「正しいことがまずありきで、それを間違った人が『悪い』」 という考えが強いが、アメリカの法学では 「両方正しい。どこで折り合いを付けるか」 という考え方をする。「正しいこと」が一つしかない国と、沢山ある国の違いだ。 「みんなそれぞれに正しいんだ」 とわかるようになるのが、弁護士のように考えること。そして、その思考訓練を受けるのがロースクールなのだ。 アメリカの弁護士資格を取る魅力のひとつは、「世界中で働けるようになる」ということ。 日本の弁護士資格では日本以外で働くのは難しいが、アメリカの弁護士資格があると世界のいろいろなところで仕事の口がある。(たとえば、アメリカの弁護士資格を持って日本で働いている人は沢山いるが、逆は殆どいない。)「戦後の和解契約」を専門にし、ボスニアなどの戦地を点々としているアメリカの弁護士資格を持った友達もいる。堀本さんの家は夫婦で弁護士なので、世界中どこでも働ける、と思っている。 「スナフキンのように、行きたいところに行ける人生を送りたいといつも思っていたので、それにはアメリカの弁護士資格はとてもいいです」 と語る堀本さん。 2年前に彼と一緒にサーフィンを始め、今では夫婦で暇さえあればサーフィンに行く。が、シリコンバレー近辺の海は夏でも冷たいし、冬は気温もかなり冷え込む。なので、できれば、もっと暖かい海があるところに住んでみたい、と思っている。
と笑う堀本さんだ。 そんな堀本さんからのメッセージは、 「アメリカのロースクールは大変は大変ですが、予習さえすれば授業についていけないことはありません。興味があったら是非挑戦してみてください。」 このレポートに関するご意見・ご感想は下記までお願いします。
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