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福澤伴子さんは、現在とあるシリコンバレーの企業で開発エンジニアとして働いている。コンシューマ向けに大規模なオンラインサービスを提供する成功企業で、成長しつつも当面つぶれる心配もない、という、ベンチャーと大企業のおいしいところをいいところ取りした華やかな職場だ。しかし、福澤さんがそんな企業で働くに至るまでには長い紆余曲折があった。 長い長い学生生活福澤さんは千葉県の高校から都内の国立大学の英語専攻へ進学。英語に興味はあったが英文学を勉強するつもりはなかったのであえて選んだ専攻だった。しかし、入学してみたら英文学の比率がかなり高い。しかも、毎年6人に1人が留年する学内の雰囲気にもなじめない。 それでも4年間通ったが、とても卒業できる気がしなかった福澤さんは、国際基督教大学(ICU)の心理学にトランスファーした。そこで、さらに2年かけて卒業する。 もともと福澤さんが外大を卒業するはずだったのが93年。就職氷河期元年だ。ICUで2年を過ごし、就職難はさらに悪化していた。 「卒業しても就職できそうにもないし」 と、アメリカ留学を決意。たまたま同じ時期に父親がアメリカ駐在することになったこともあったし、ICUにはアメリカ留学する人がたくさんいたいうこともあった。 留学先はミシガン大学の都市計画にした。都市を計画するのは面白そうな仕事に思えたし、住民にとって望ましい街を考えるといったときに、大学で学んだ心理学も役に立ったからだ。
そしてするすると2年で修士は取れたのだが、就職ではまた壁に当たる。 周囲の学生は、自治体や都市計画系のコンサルティング会社に進んだが、英語ができない福澤さんにはハンディが大きい。時はおりしも97年。日本での就職はさらに難しい状況だ。 文系からコンピュータサイエンスにやむなく、ミシガン大学のIndustrial Operation Engineering (IOE)という学科のリサーチプロジェクトでリサーチャーとして働き始める。このプロジェクトでは、地理情報システム(GIS)がわかる人をパートタイムで探しており、福澤さんは院生時代にいくつかGISの授業をとっていたこともあって採用となったのだった。 このプロジェクトの中でC++のプログラムをする必要があったが、他のメンバーが誰もできなかったので、福澤さんが勉強して書くことになった。そんなこともあって 「コンピュータサイエンス(CS)も勉強してみたら面白いかもしれない」 と思い始める。 CSにいる友達も 「CSの学位をとれば、英語がネイティブ並みでなくとも簡単に職が見つかるよ」 と、アドバイスしてくれた。 それまで就職に苦労していた福澤さんは、半信半疑ではあったが、友人の強い推薦もありCSに願書を出すことにする。が、一回目は不合格。 CSの教授に会いに行って相談し 「CSの授業をいくつかとって、いい成績を出したら合格になりますか?」 と聞いたところ、それはそうだね、というコメント。一学期間CSの授業を取り再受験したところ、今度は合格した。 一方で、リサーチプロジェクトをしていたIOEがRAとして雇ってくれ、CSの学生生活をサポートしてくれることになった。 ここでちょっと説明すると、アメリカの大学では、大学院生はRAかTAとして学校が雇ってくれ、その給料で生活できることが多い。RAはresearch assistantで、研究プロジェクトの一員として働き、TAはteaching assistantで、他の学生の勉強を指導する。RAかTAをすれば、学費は免除な上に給料が出る。特に理系の学部では、企業や政府の助成金も多いためRAの仕事もふんだんにあり、自己負担ゼロで学位が取れるのが普通だ。 話を福澤さんに戻すと、RAとして、学費はゼロで手取りの給料を月1200ドルくらいもらいながらのCS学生生活となった。月500ドルほどの学内の寮に住んでいたので、経済的には何の問題もなかった。 このレポートに関するご意見・ご感想は下記までお願いします。
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