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ITキャリア大図鑑
No.015 宮崎県知事 東国原英夫氏
【BASIC DATA】
名前 ひがしこくばる ひでお
職業 宮崎県知事
年齢 50歳
血液型 B型
星座 乙女座
ご家族 独身だが、宮崎県民が心の家族 !?
出身地 宮崎県
趣味 ジョギング
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芸人と政治家になる夢はかなった。でも、そこから何をしていくのか、これからが重要だと思っています。  


 

人を幸せにしたい。それには、エンターテイメントと政治力が必要だと感じていました。

   

小学生のころから、芸人と政治家になることが夢だったとか。まったく違う道のように思えるのに、なぜこの2つが夢だったのでしょう。

   

東国原氏:その2つを意識したきっかけは、町に来たサーカスです。僕が子どもの頃はまだテレビやラジオが今のように普及していませんでしたが、その代わりに目の前で見るエンターテイメントがけっこうあったんです。その代表例がサーカスですね。空中ブランコを生で見てハラハラドキドキのスリルを味わい、大きな象の姿に驚き、道化師のパフォーマンスに本当に楽しそうに笑う。そんなみんな一緒になって喜んでいる姿を見て、これはすごい!と思ったんですね。サーカス、そこには庶民のハッピーがあふれていました。そしてそのサーカスを誘致したのが、実は実父だったんです。サーカスを呼んできたその力はすごいなあと子どもごころに思いました。それがつまり政治の力ということですよね。この経験が、人をハッピーにするのはエンターテイメントと政治だ、と気づかせてくれた僕の原点なんです。そのときから、芸人と政治家になることが僕の夢になりました。

  東国原英夫氏写真


東国原英夫氏写真
 

子どもの頃に政治の力を感じ取っていたとは、ちょっと大人びていたんですね。

 
 

東国原氏:そうですね。とにかく道路をつくったり、橋をつくったりしているところや下水道工事などに、政治というもののすごさを感じていました。ローラーでアスファルトがならされ、固められていくのを見るのが好きで、そうやって公共事業の力で、だんだんと町が生まれ変わっていく様子に心が躍りました。
そうそう、小学生の頃に都城市役所前に、市内で初めて歩道橋が出来て、それを遠足で見に行ったんですよ。歩道橋の渡り方まで習った(笑)。歩道橋の上から見る景色は、今まで見たことのない広がりで。初めて渡ったときには、なんだかドキドキしましたね。まさに夢の掛け橋。世界に目を向ければ、ベトナム戦争で東西陣営がぶつかり合っているときに、日本はこんなふうに高度成長期を迎え裕福に発展していった。それはやはり政治力なんですよね。子どもごころに政治と生活が非常に密着している、という空気を感じていました。

 

では芸人と政治家になるために、どんなシナリオを描かれたのでしょうか。

 

東国原氏:芸人になることは、とにかくずっとイメージしていました。もう夢に向か ってまっしぐらで、ブレることはなかったですね。14歳、中学2年生のときには芸人になるつもりで家出をしたくらいですから。学校では無遅刻無欠席、副学級委員長で、新聞配達をし、部活も真面目にやっていた、いわば理想的な少年像ですよ。だから母は知事になったときより、家出されたときの方が驚いたと言っています。そのときは大阪に出ようと思っていまして、アルバイトでお金を貯め、どの電車に乗ってどういうルートで向かうかまで用意周到に準備したんですが、門司港で補導され、下関署に保護されて留置所に泊まりました。その後はいっさい芸人になるとは口にしませんでしたが、自分の中にその想いは常に揺らぐことなくあって、高校を卒業したらとにかく東京の大学へ行こうと決めていました。どこの大学に入るかは問題じゃなくて、芸人になるには社会勉強が大切だ。東京という大都市にはテレビ局や劇場がたくさんあって、才能も集まっている。東京全体が芸人になるための学校だ、と。それに芸人になるためのチャンスもいっぱいあると思っていました。

 


     

不祥事による謹慎処分、すぐに「これは勉強するチャンスだ」と気持ちをリセットしてました。

   
 

芸人になることを実現させた一方で、
政治家になるという夢は、どう考えていたのでしょう。

   
 

東国原氏:政治家になるという夢は、ずっと息を潜めていましたね。宮崎から有名人を出したい、という気持ちの方が強かったんでしょうね。そこに突き進んでいた感じがします。というのも、鹿児島や熊本からはテレビなどで活躍する有名人がたくさん出ているのに、宮崎にはいない。宮崎はどこにある県なのかさえ知らない人も多い。すごく宮崎という故郷にコンプレックスを感じていましたから、宮崎をなんとかしたい、という想いが、まず芸人になるという方向にエネルギーを注いでいた理由だと思います。

  東国原英夫氏写真
 

では政治家という夢を、具体的に考え出したのはいつ頃でしょうか。

 
 

東国原氏:それは不祥事を起こして芸能界で謹慎処分を受けたときですね。とにかく芸人としての活動は中断しなければいけない。ショックでしたが、よし、これは政治家になるために勉強するチャンスだと、結構あっさり自分の中でリセットしていました。心配してすぐに様子を見に来てくれた芸人仲間に「俺、大学に行こうと思うんだ」と話していたくらいですから。仕事をしなくていい状況になった、ともいえるわけですし(笑)、ここはもうひとつの夢である政治家を目指すチャンスだと思いましたね。人生のカウントダウンがはじまる年齢だし、死ぬときに「やっぱり政治家も目指せばよかった」と後悔はしたくない。これは、きっと、 神様がくれたきっかけなんだと考えました。もし、あの謹慎期間がなかったら、守るべき家族がいて生活もあるし、なんとなく芸人をそのまま続けていて、きっと政治家にはなっていなかったと思いますね。

 


     

知事としての1年目の成績はゴルフにたとえるなら、3オーバー、といったところかな。

   
 

知事という仕事は想像通りでしたか。それとも違っていましたか。

   
 

東国原氏:県知事という仕事は、官と民の橋渡しのようなものなんです。同じ県民から選ばれているのに、県議会議員は県民のスタンスで考え、話せばいいけれど、知事は県民の声も公務員の声も聞き、発言していかなければいけない。知事は地方行政のトップだなんていうけれど、それは行政学上のことであって、実は上と下から挟まれている、なんとも不思議な、いわば中間管理職のようなものです(笑)。さらにメディアからの目も考えると、まさに四面楚歌。これはもう全然、想像と違っていましたねぇ。
昨日もジョギングをしていたら、自転車に乗って「知事、ちょっと止まってくださ〜い!」と追いかけてくる人がいる。「なんでしょうか」と話を聞けば、道路のバイパス工事の影響で畑のトマトの出来が悪くなったと。で、上申書を出しているが知事に届いていますかとおっしゃるんですね。役所は説明も何もしてくれない、というんです。それで翌日、担当部署に出向いて話をしたら、「毎月、説明をさせていただいております」と言うんです。すごい温度差でしょう。こんなことが、それはもういろいろあるんですから。でも、いつも県民目線、耳にしたことはどんな小さなことでも自ら動き、何かできることはないかと考えることにしています。県の職員の人たちは細かい仕事も増えて、迷惑だとは思いますが、皆できる限りの対応をしてくれます。僕より経験も知識もある方ばかりですから、とにかくお願いしたり教えていただくことばかり。僕は日本一腰の低い知事だと思いますよ(笑)。

  東国原英夫氏イメージ写真


東国原英夫氏イメージ写真
 

陳情の数もすごいでしょうね。

 
 

東国原氏:それはもう。橋や道路、福祉施設をつくってほしいというものが大半ですが、山のように届いています。県の財政は逼迫していますから、なかなかかなえられないですけど。時間が許す限り1日4、5件は、県民の方々から直接陳情を受けています。
政治家になるというのはもちろん子どもの頃からの夢でしたが、その根底には人々を幸せにしたいという想いがあったわけです。だから政治家になることが終着駅ではなく、なってから人々の幸せのために何をしていくかが重要だと思っています。県知事ですから、宮崎県民のみなさんがこの県に生まれたこと、この県の出身であることをよかったと思い、自信と誇りをもてるように努力する一方で、県外の方には、ぜひ宮崎に行ってみたいと思わせる、そんな地方自治体の構築が今の僕に課せられた最大の目標です。
選挙のときに中山間部に住んでいらっしゃるおばあちゃんに、こんなことを言われました。「私は宮崎で生まれ育った。あと何年生きられるかわからないけど、このまま悪いイメージの宮崎では死んでも死にきれん。私はあなたに宮崎を変えて欲しい」と。この言葉には泣けました。
陳情や要望のない県にできれば、知事としての目標の達成度は高いといえるでしょうが、ゼロにすることは不可能です。でも、少しでも近づけていきたいですね。

 
 

今や知事への県民の支持率は96%という驚きの数値もあります。ご自身をどう評価していますか。

   

東国原氏:知事の仕事を、僕はゴルフの4日間トーナメントに喩えるんですが、1年目は3オーバーくらいでしょうか。これからですね。4年経ったら、アンダー・パーでありたいですね。
最近は政治家になりたい、という子どもが減りました。政治家といえば悪いことをする、嘘をつく、高ビーだとか、いい印象がないですからね。だからこそ僕の仕事を見て、宮崎を知り、「宮崎はこうやっていかんといかんな」と考え、そんな中から県知事になりたい、政治家になりたいと考える子どもが出てきてくれたらいいな、と思っています。
また、宮崎では子どもたちの間でも、幸いなことに県知事の認知度は90%を超えていると思いますが、そうした宮崎を見て、他県でも「自分の県の知事さんは誰だろう」とか、「何をしているんだろう」と興味をもってくれる、そんな波及効果もあるようで、うれしいですね。

  東国原英夫氏写真


     

一人ひとりが夢をあきらめないでほしい。そうしないと日本は確実に崩壊していってしまうと思う。

   
 

小学生の頃からの夢に向ってまっすぐに生きていらした知事ですが、現代の若者は夢をもてない人も多いようです。何かメッセージをお願いします。

   
 

東国原氏:少子高齢化の進む現在の日本は、若者にとって夢をもちにくい国になっています。高齢者への福祉の負担を自分たち若者がしなければいけないという現実。一流大学を出て、一流企業に入ったからといって、それがどのように幸せに結びつくのかわからない。そんな諦念が広がっていますね。でもそんなときだからこそ、希望や夢が必要なんです。趣味だって、仕事だっていい。どんなことでもいいからあきらめないで、自分の信念やビジョンをもって、自己実現に向かって努力していただきたい。一人ひとりが自覚して、それぞれのもち場で夢に向って全力を上げていただきたいと思いますね。そうしないと日本は、確実に崩壊していってしまう。夢をあきらめずに、精いっぱいの努力をして自分の人生を構築していくという意識を、ぜひ若い人たちにはもってほしいと思います。

  東国原英夫氏写真


     
Two Typical Questions    

1.

あなたの夢の実現度は?

 
 

なりたかった芸人と政治家になった、ということでは実現度は高いでしょうが、要はなってからです。いったいどういう芸人や政治家になりたいのか。この立場を利用して何をしていきたいのか。人を幸せにしたいという大きな夢をかなえる手段、過程としての芸人や政治家なわけですから。どう自己実現し、高みにもっていけるか。まだまだ2合目か3合目にさしかったところかな。

 

 
 

2.

1つだけ夢がかなうとしたら?

   
   

国民を幸せにするための革命を起こしたい。幕末に薩長が日本を変えたように、今度は僕が日本を変えたいですね。

 
   

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